ファッション史

アントワープ・シックス ─ 中古バンが運んだファッション革命の話

Digr. 編集部

1986年、6人のベルギー人デザイナーが中古のバンに服を積み、ロンドンへ向かった。その無謀な旅がモダンファッションの地図を書き換えた。彼らは何を持っていたのか。

1986年、ロンドンへ

英国国際ファッションフェア、1986年。ベルギーのアントワープ王立芸術学院を卒業した若者6人が中古のバンをレンタルし、自らのコレクションを積み込んでロンドンへ向かった。

Ann Demeulemeester、Dries Van Noten、Dirk Bikkembergs、Walter Van Beirendonck、Marina Yee、Dirk Van Saene。

ショーのブースを持つ金も、大きな広告宣伝費もなかった。あったのは服と、ファッションに対する過激なほどの真剣さだった。


アントワープ王立芸術学院という揺籠

1963年に設立されたアントワープ王立芸術学院(KABK)のファッション学科は、現在でも世界最難関のファッション教育機関の一つに挙げられる。

その特徴は徹底した「自己の発見」への要求にある。学生に既存のスタイルを模倣させず、自分が何に感動し、何に怒り、何を美しいと感じるかを服という言語で表現することを求める。教育の過程で学生は否応なく自分自身の哲学と向き合わざるを得ない。

6人がそれぞれ全く異なるスタイルを持つのはそのためだ。同じ学校を出ながら、Van Notenの陽気な色彩とDemeulemeesterの詩的な暗さ、BikkembergsのアスレチックなハードさとVan Beirendonckの過激なポップが共存した。それは学校のブランディングではなく、各自の内側から出てきたものだった。


「ベルギーデザイン」の発明

1986年以前、ファッションの地図にベルギーは存在しなかった。フランス(パリ)、イタリア(ミラノ)、イギリス(ロンドン)が世界のファッションを牛耳り、その他の国々は周辺に位置していた。

アントワープ・シックスのロンドン登場は、その地図を塗り替えた。翌年には世界のバイヤーがアントワープへ飛ぶようになり、「ベルギーデザイン」というカテゴリーが誕生した。その後継者としてMartin Margiela(7年目の後継者として「セカンド・ジェネレーション」と呼ばれる)、Raf Simonsらが続き、アントワープは90年代の最も重要なファッション都市の一つとなった。


6人のその後

Ann Demeulemeester ── 最も文学的な哲学を持ち、2013年まで自身でブランドを運営。現在もブランドは継続しているが、Ann本人の退任後は別の物語が始まっている。

Dries Van Noten ── 最も長く独立を保った一人。2024年の引退まで、外部資本に一切頼らずにブランドを運営した稀有な存在。

Dirk Bikkembergs ── サッカーと服の融合という独自路線を突き進み、2000年代にはサッカークラブのオーナーにもなった。

Walter Van Beirendonck ── 6人の中で最も過激にアートとファッションの境界を揺さぶり続ける。現在もアントワープ王立芸術学院でファッション学科長を務める。

Marina Yee と Dirk Van Saene ── 比較的穏やかなキャリアを歩み、ファッション業界の中で着実な活動を継続。


アーカイブとしての価値

アントワープ・シックス各人のアーカイブは、現在のマーケットでそれぞれ異なる評価を受けている。最も流通量が多くコレクターベースが大きいのはDries Van Noten。希少性が最も高いのはMartin Yeeの初期作品とVan Saeneの限定コレクション。

しかし共通しているのは、その「なぜこれを作ったのか」という問いへの答えが服から伝わってくることだ。それは商業的な計算ではなく、内側からの必然性だ。そういう服は、時代を超える。

6人のバンは今も走り続けている。それぞれの道を。

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